何かに反抗して行動することは、自分らしい行動、自律的な行動だということができるでしょうか?
親への反抗や世の中の変化への反抗。これらも一見「自分」を確立しているからこその行動のように思えます。
しかしながら、何かに反抗して行動することは、自分らしい自律的な行動とはいえません。
反抗と自立の違い
反抗は誰かの意見に反対して抵抗することだといえます。自立は誰かの保護から離れ、自分の意志で自律的に行動することだといえるでしょう。
注目するべきなのは、「誰か」がいるからこそ反抗という行動ができるのだということです。
また自律的であることは、他人の干渉を阻止したり、自分勝手に振るまうものだと考える人もいますが、実際はそうではありません。
高名な心理学者であるエドワード・L・デシは著書の『人を伸ばす力』で以下のように述べています。
自律性を主張することは、自分だけの世界に浸ることを求めているわけではない。なぜなら、真に自分らしくあるということには、他者の幸福に対する責任を受け入れることも伴うからである*1。
反抗は必ず誰かに影響されている
反抗という行動をするには、反抗する相手がいないといけません。親がいなかったら親への反抗はできないないのです。
そして親が「夜の11時に家に帰りなさい」と言ってきたら「嫌だ」と返す、これが反抗です。
確かに反抗することで、自分の意思を突き通しているようにも思えますが、実際は親の言ったことと反対の行動をしているだけでしかないのです。
これは親の行動に依存しているということができます。
反抗という行動
反抗は自分がどうしたいかは関係ない
親が妥協して「夜の12時までに家に帰りなさい」と言ったとしても、きっと「嫌だ」と反応するでしょう。
反抗している人にとっては、夜遅くまで外出したいから門限を決められるのが嫌なのではなく、ただ親に従いたくないだけなのです。
これを本当に自分の意思による自律的な行動だといえるでしょうか。ただ親の言ったことと反対のことをしているだけとは言えないでしょうか。
こうして考えると、反抗期を迎えた子供というのは、やはりまだ親に依存している「子供」なんだということがわかります。
反抗期は自立への第一歩とよくいいますが、所詮「第一歩」でしかないということを意味しているといえるでしょう。
反対の行動ではなく、自分のしたいことをするべき
自律的な人ならば、親にどうして早く帰りたくないのかを説明して、もう少し時間を遅らせてくれないか交渉します。
親に反抗することが目的ではなく、自分のしたいことのために時間を得ることが目的だからです。
他にも、上司に対して反対意見を言ったとき、上司がその反対意見を受け入れたのにもかかわらず、心のどこかにわだかまりがあるのなら、それは反抗の可能性があります。
「この方がベストである」という考えを理解してもらうことが目的ではなく、にっくき上司に逆らうことが目的となっているかもしれません。
流行に反抗している人は、自分のこだわりと流行が一致してしまったとき、どう行動するでしょうか?
もし流行とかぶるのは嫌だという理由で、自分のこだわりを捨ててしまうとした場合、その人は本当に自分らしい行動をしているといえるでしょうか。
まとめ
- 反抗は「誰か」がいないとできない行動である
- 自律的な行動は誰かがいなくても自分でできる
- 反抗は誰かに影響されて行われるもの
- 反抗的であることと、自律的であることの区別は意外と難しい
反抗というのは、所相手と反対の行動をするというだけのもので、自分の行動は実は相手に依存しているものです。自分らしい行動とはまったく異なります。
このことは意外と気づきにくいもので、周りに従わずに自分を貫くことと、周りに反抗することの区別は非常に難しいといえるでしょう。
皆さんもぜひ自分の行動が反抗ではないか、見直してみてください。
*1:エドワード・L・デシ+リチャード・フラスト(1999)『人を伸ばす力』新曜社 p.141