現代は農耕社会の文化を受け継いだ農耕型社会だといえる。
そして人々が現代社会に感じている違和感は、農耕型社会と狩猟採集社会のギャップだとぼくは考えている。
ぼくが主張したいのは、人は狩猟採集時代の文化を本能的に求めているのではないかということ。
もともと人々は狩猟採集社会の文化を本能的に求めるようできており、だからこそ現代の農耕社会の文化には違和感を持つのではないだろうか。
狩猟採集とはなにか
狩猟採集は野生の動物の狩猟や植物の採集を生活の基盤とするライフスタイルといわれている。
このライフスタイルには以下の特徴があげられる。
- 労働時間は3~4時間で全員が十分に生活できる
- 現代の先進国並みに栄養状態や平均寿命がある
- 常に移動し続けている(移住・旅行)
- 役割は違えど、完全に男女平等である
これだけでも、現代社会よりも好ましいものだと思えるのではないだろうか。
これから具体的に人々が農耕社会よりも狩猟採集社会を好む理由を述べていく。
人々は進んで農耕社会をつくったのではない
農耕という革命的な仕組みが生まれたとき、人々はこぞって農耕を始めたと思ってはいないだろうか。
そのような事実はなく、むしろ人々は仕方なく農耕を始めたといった方が正しい。
まずは人々が進んで農耕社会をつくったのではなく、仕方なく農耕を始めたということを説明する。
そうすることで、人々にとって農耕社会が「嫌なもの」であることを証明したい。
狩猟採集をしているときから人は農耕の存在を知っていた
農耕が生まれるとすぐに人々は狩猟採集をやめ、農耕をはじめたと考えている人は多い。しかし実はそうではない。
人々は狩猟採集社会の頃から、農耕の存在を知っていたのだ。
それでも人々は農耕をはじめないで、狩猟採集を続けたという。つまり、人々は農耕にそれほど魅力を感じなかったといえる。
単純に私たちの目線からみても、狩猟採集から農耕に移ると労働時間が圧倒的に増え、移動ができなくなるのだ。狩猟採集と農耕どちらが魅力的にみえるだろうか。
じゃあ、8000年より前の人間は農業を知らなかったのかといえば、そうではない。それ以前、1万数千年以上前から作物を栽培して刈り取ったという証拠が各地で見られるという。単純に考えると農業という先進技術を知ったからは、それを活用して狩猟や採集生活を止めて、定住して農耕を始めるのが当然と思うだろう。しかし人は農業という方法を知っても、農業に切り替えずにそれ以前のままに狩猟や採集の暮らしを何千年も継続した。*1
以上のことから、人にとって農耕は進んでしようとは思うものではなかった。逆にいえば、狩猟採集により魅力を感じていたといえる。
人々は仕方なく農耕を始めた
ではなぜ人々は農耕をはじめたのだろうか。
それは地球環境の変化で食料が安定して入手できなくなり、狩猟採集では生きていけなくなってしまったからだといわれている。
人が農業をするようになったのは、狩猟では食えなくなったためという。決して良い暮らしをするためとか、技術が進歩したから農業を始めたのではなく、狩猟で暮らしていけなくなったので、しかたなく農業を始めたという。狩猟生活で暮して行けたなら農業なんてしなかったというのだ。*2
つまり人々が農耕をはじめたのは、必要に迫られて「仕方なく」だったということだ。
狩猟採集社会と農耕社会の間に優劣はない
狩猟採集社会は農耕社会よりも文化的に劣っていると考える人もいる。しかし前述したように、当時の人々は農耕社会がそれほどよいものとは感じていなかった。
狩猟採集社会と農耕社会はライフスタイルや価値観が違うというだけであり、優劣をつけることはできない。農耕社会の方が優れているという主張は現代の人間の傲慢さをあらわすだけである。
19世紀から20世紀にかけては、社会進化論に基づいて狩猟採集社会から農耕社会という「進化」を世界的に適用し、狩猟採集社会が農耕社会に劣っているとする論者もいたが、これは本来自文化中心主義的な理論でしかない。*3
現代でも人々が狩猟採集社会を好む理由
人類は農耕社会で過ごした時間よりも狩猟採集社会で過ごした時間の方がはるかに長い
人類の誕生500万年前頃といわれている*4。
人々が農耕を始め、定住をするようになったのは今から8000年前といわれていて、こちらは間違いないという。
人間が農耕を行うようになって、定住してやがて都市を作ったというのが今から8000年前(紀元前6000年)という。これはいろいろな証拠があってその事実と年代は間違いないらしい。
つまり、人は狩猟採集をしていた期間が約499万年間で、農耕をしていた期間が8000年間ということになる。
狩猟採集をしていた期間の方がはるかに長く、農耕をしていたのは人類の歴史においてほんのわずかな時間でしかないことがわかる。
狩猟採集社会の文化は人々に根強く残っている
そう考えると、人々に狩猟採集の習性や本能が今でも残っていると考えても不自然ではないし、仕方なくはじめた農耕社会にストレスを感じることもうなづける。
人々は狩猟採集社会の文化の方がストレスを感じにくく、より豊かに生きられるのではないだろうか。
逆に農耕社会の文化になじめなかったり、過去にはなかった生活習慣病を患ったり、過剰なストレスを感じたりするのは、農耕社会の生き方がその人にはあっていないからといえる。
なお、ヒトが今の人類らしくなったのは20万年前くらいだという意見があったとしても、狩猟採集社会の方が農耕社会よりも20倍長いといえ、根拠は揺らがないだろう。
狩猟採集社会の人と農耕社会の人
農耕社会にこだわる必要はもうない
当時の食糧難だった農耕社会のときと違い、現代では効率的に安定して食料を供給できる。
そのため、農耕的文化にこだわる必要はなく、狩猟採集文化に一部回帰することは決して不可能ではないといえる。
全員が求めているわけではない
とはいえ、全ての人が狩猟採集社会の文化を求めているとはいえず、農耕社会の文化になじんでいる人もいると考えられる。
また、きっちりと狩猟採集社会の人と農耕社会の人に別れるわけではなく、食事は狩猟採集文化で、組織は農耕社会文化といったように、部分的に異なる人がたくさんいると推測している。
イメージとしてはずっと昔からあった狩猟採集文化に、少しずつ農耕社会文化を上書きしているといった具合だ。
さいごに
これは人の生き方を考えるうえで道しるべとなるような発想だといえる。
このブログのテーマである「自分らしい生き方」とも関係の深いテーマであるため、これからも言及していきたい。
今日は少し抽象的に説明したが、いずれいくつか具体的をあげていく予定である(最初はミニマリストと狩猟採集社会の話)。
狩猟採集社会を強く望む人や農耕社会になじめない人はどのような形で表面化しているのか例をあげておく。
- ニート(特に高学歴)
- 精神的な問題を抱えている人
- 会社に所属することが嫌で独立した人
- 他の人より自由な生き方をする人
狩猟採集社会と農耕社会という考え方は以下の書籍がもとになっている。狩猟採集社会と農耕社会について非常にわかりやすく書かれている名著である。興味のある方は読んでみてはいかがだろうか。
*1:http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/2012/jizokukanou.htmより引用
*2:http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/2012/jizokukanou.htmより引用
*3:Wikipedia「狩猟採集社会」より引用
*4:こちらは諸説あり