あなたはグライダー人間ではありませんか?
グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行よりも美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。
これは外山滋比古氏の『思考の整理学』の一文です。
考えることを空を飛ぶことにたとえて表現しています。
自ら考えることのできる人をエンジンのついている飛行機、自ら考えることができないのにできると勘違いしてしまっている人を風がなければ飛べないグライダーと表現しているのです。
人間には、グライダー能力と飛行機能力がとがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。
飛べないのに飛べると勘違いしてしまっていることは、非常に恐ろしいことであり悲しいことです。
グライダー人間はコンピューターに仕事を奪われると外山滋比古氏は主張しています。
考えられない人たち
グライダー人間とはなにか
グライダー人間とはグライダー能力しか持っていない人。
簡単に言えば自ら考えられない人のことだといえるでしょう。
例えば、以下のような特徴があげられます。
- 成績は良いが自由なテーマの課題を求められると身動きがとれなくなる
- 主体的にではなく受動的に学ぶ(与えられた勉強は当たり前のようにする。自ら進んで勉強することはない)
- 創造的な作業やアイデアを出すことが苦手
- (多くの場合学校において)優等生である
- レールの上を歩くのが得意で、新しいことを拒絶しがち
具体的な例をあげると、成績はいいのに卒論はまったく書けないという人があげられるでしょう。
なにより悲しいの自覚していないこと
現実には、グライダー人間が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も”翔べる”という評価を受けているのである。
グライダー人間の一番悲しいことは、それを自覚していないことです。
学校教育においてはグライダー人間はもてはやされるし、トップが優秀で目標が確立された組織でも実力を発揮することができます。
そのため「自分は優秀で知的で考えられる人間」だと勘違いしてしまうことは珍しくない。
しかし本当に自ら考えなければならない場所に来ると、たちまち混乱してしまうんです。
無能ではない
グライダー人間は無能というわけではありません。
彼らが実力を発揮する場面があるように、グライダー人間は社会から必要とされている人たちだといえます(その重要性は低下しつつありますが)。
問題なのは自分が何者なのか理解していないことです。
グライダー能力と飛行機能力の両立が大切
現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。
とても30年ほど前に書かれた本とは思えません。
情報が溢れかえっている社会では受動的になることも重要です。
しかしながら、それをまったくアウトプットできないようでは意味がありません。
自分が何者か自覚しよう
ぼくが一番伝えたいことは、あなたはグライダー人間になってしまっていませんかということ。
もしくはあなたの身の回りにそんな人はいないでしょうか?
グライダー人間と飛行機人間は見分けることが非常に難しいものです。
グライダー人間はアイデアは出せないけど批判することは得意だったりと、物事を先に進めるにあたって障害となることすらあります。
今一度、自分とその周囲を注意深く見直してみてはいかがでしょうか?
情報技術が発展してきた昨今、グライダー人間は生きていくことが難しい時代になっています。
グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。