以前「自分最適」と「全体最適」の話をした。
リーダーシップのある人は全体のことを考えて行動する「全体最適」の行動価値観を持っていて、リーダーシップのない人は自分のことしか考えないで行動する「自分最適」の行動価値観を持っている。
「自分最適」は自分勝手と置き換えてもそれほど問題はない。
組織においては下に行けば下に行くほど好ましい。全体最適で行動する人が多い組織ほど良い組織であるといえるだろう。
今回はまず「自分最適」な人がいかに組織に悪影響を与えるのか説明する。その後にスティーブ・ジョブズは自分勝手だったと言われているが、本当に組織に不必要な人物だったのかを考えてみたい。
自分勝手な人や自分最適で行動する人は組織にいらない
自分最適な人は組織に必要ないということは簡単に理解できる。
ちきりんさんの「なんで全員にリーダーシップを求めるの?」の記事を引用して説明する。
たかだか 20人ほどの忘年会でさえ同じでしょ。
一回でも忘年会の幹事をやれば、店の選び方について後からどうでもいい意見を言ってみたり、参加可否を問うメールを放置して返事をしなかったり、たいした用もないのに遅れてきたり、「オレは酒が飲めないから安くしろ」と言ってみたりすることが、どれくらい慎むべき行為かすぐに理解できます。
「自分最適」で行動する人は、全体にとって不利益でも自分の利益になるなら気にせず行動する。そのため全体の足を引っ張り、組織にいらないと考えることができる。
しかし自分最適がもたらす害はそれだけではない。
一番の理由は「周囲のやる気をなくす」から
「自分最適」の一番の悪は、「全体最適」のやる気をそいでしまうことにある。
みんなのために何かをしているときに、一人だけ自分の利益だけを目的に行動している人をみたらどう思うだろうか。
それだけを見れば、「自分最適」の人が得をして「全体最適」の人が損をしているという形になる。
全体を考える人が損をして、自分勝手な行動をする人が得をするという構図ができると、「全体最適」の人のやる気はそがれ、最悪の場合損をしたくないために自身も「自分最適」になってしまう。
「自分最適」な人が組織に不要だといえる一番の理由はここにあるといえるだろう。
自分最適と全体最適を見分けるのは意外と難しい
スティーブ・ジョブズは自己中心的な人物として知られている。
異常に自己中心的なジョブズは、気難しく、要求が厳しいことで悪名が高かった。1993年、ジョブズはフォーチューン誌が選ぶ「米国で最も苛酷な上司」のリストに名を連ねた。
では、スティーブ・ジョブズは「自分最適」な人で組織にとって不要だったのだろうか。
そんなことはない。まずスティーブ・ジョブズは「自分最適」な人ではなかった。確かに彼は過剰な要求をする厳しい上司として知られていたが、それはより良い製品を生み出すためだった。
スティーブ・ジョブズの厳しいこだわりによる恩恵を一番受けたのは、彼ではなく素晴らしい製品を手にした私たちではないだろうか。
そう考えるとスティーブ・ジョブズは「自分最適」のように思えて、実は社会全体に恩恵をもたらす「全体最適」の人だったといえる。
このように自分勝手な人と「全体最適」の人を見分けるのは難しい。スティーブ・ジョブズの功績を知らずに彼のやり方をみたら、組織から追い出したほうがいいと思うだろう。
実際スティーブ・ジョブズはappleから一度追い出されている。しかし、その後appleの経営が悪化したことは言うまでもない。
優れた「全体最適」の「全体」はとても広い
「自分最適」の人は組織の足を引っ張り、周囲のやる気をなくすため、組織に不要である。また、基本的に「自分最適」は自分勝手、自己中心的と置き換えることができる。
一方で自分勝手、自己中心的な人が「全体最適」であるケースもある。
ただ自分の作りたいものを追求して、そのときに自己中心的な振る舞いをする人が、組織に、世界中に大きな利益をもたらすことがあるのだ。
しかしその人にとっての「全体」が広すぎるために、周囲にいる人から理解を得ることができない。そういった人を組織から追い出すことは、組織にとっても世界にとっても大きな損失である。
大きな信念を持っているかといった視点で、両者を見分け、実は「全体最適」であるという人を追い出すことのないようにしないといけない。
会社をすっぱりと辞めてしまう人がいる。そのとき、あなたは「なんて自分勝手な人なんだ」と思うだろう。
しかし、その人はより大きな目標のために行動している人かもしれない。
組織において「自分最適」は悪である。しかし自分勝手で自己中心的に見えても「全体最適」な人がいるかもしれない、ということは覚えておくべきだ。