サービス残業は日本特有のものであるという考えがあります。
厳密に言えば、他の国々でもサービス残業がまったくないということはないでしょうが、日本の労働環境や日本人の生産性について触れるときに、“サービス残業”という概念を持ち出すことは少なくないように思えるのです。
今回は飯田史彦氏の『日本的経営の論点』のなかで、残業に関する興味深い記述をもとに、長期雇用によってサービス残業が存在していると主張をしていきます。
また、終身雇用が失われていると言われている現在のサービス残業についても考えてみます。
サービス残業と終身雇用はセットである
一見すると「非・人間尊重」や「人間軽視」にさえも映る「長時間の残業」や「定年退職」「出向」「窓際族」などの現象も、実はもっと深い所に横たわる「終身雇用」を守るためのやむを得ない合理的手段であるため、本質的・包括的には「人間尊重の経営システム」と言うことができるのだという*1。
厳密に言えば、これはサービス残業のことを指しているわけではありません。
しかし、「終身雇用」を守るためのやむを得ない合理的手段としてサービス残業もあげることができるのではないでしょうか。
アメリカなどで経営成績が悪いとなれば、一時的に解雇したりなどの手段で経営を合理化するのが一般的です。
これらのことを踏まえると、サービス残業は会社側からすると、経営成績がよくなくても雇用を維持するために取られた苦肉の策といえるかもしれません。
会社への帰属意識とサービス残業
日本人は会社への帰属意識が高い
日本人に、何をして暮らしていますかと尋ねてみるといい。コマツとか、トヨタ、東芝などで働いていると答える人が多いだろう。欧米人に尋ねると、普通は私はエンジニアですとか、生産労働者ですとかいう。日本では、いちばんの忠誠の対象は、仕事ではなく会社なのだ*2。
上記の文でも述べられているように、日本は会社への帰属意識が高いと言われています。
アメリカでは会社に所属している意識以上に、「自分はこの仕事をしている」という意識が強く、日本人は組織志向、アメリカ人は市場志向というように表現することができるでしょう。
この日本とアメリカの意識の差は、日本に企業別労働組合が多く、アメリカは産業別組合が多いことからもわかるような気がします(意識と仕組みのどちらが先行したかは知りませんが……)。
会社への帰属意識の高さは長期雇用がもたらす
日本人の会社への帰属意識の高さは、終身雇用によってもたらされているという見方が基本的には有力です。
終身雇用という制度あるいは慣行こそが、まさに社員の忠誠心を高めるために有効な方法であるという*3。
会社への帰属意識の高さは終身雇用がもらたす。そして、会社への帰属意識が高いために忠誠心が高い。
そのため、社員側も会社のためにサービス残業という慣行を受け入れてきたと考えることができるのではないでしょうか。
そう考えると、社員側の視点、会社への帰属意識と忠誠心という観点から見た場合も、やはりサービス残業と長期雇用はセットとして存在していたものであると考えられます。
「失われた」終身雇用と「失われない」サービス残業
長期雇用は実は失われていないという議論もあるかもしれませんが、やはり基本的には長期雇用は日本でも失われつつあるという見方が一般的であるように感じられます。
2010年7月に実施された厚労省調査によれば、比較的勤続年数の長い製造業大企業(従業員1,000人以上)においても、男性大卒者50~54歳の階層で26.8年、55~59歳で30.6年という数字が出ています。新卒で企業就職したとして、50~54歳であれば28~32年、55~59歳であれば33~37年ほどが経過している訳ですから、上記調査結果は、勤続年数が大卒者より短い大学院卒者や自発的転職者、あるいは受験浪人経験者の存在等を勘定に入れても、終身雇用が常態ではないことを示しています。
長期雇用が失われている一方で、サービス残業は失われていないように感じますし、むしろ増えていると思っている人もいるかもしれません。
いまや、ぼくの友人はアルバイトでさえもサービス残業が当たり前のこととして受け入れられていますし、ぼくが以前アルバイトをしていたある企業でも一般的なものとして扱われていたと感じます。
しかし前述したように、本来サービス残業は長期雇用とセットになるべきものなのです。
長期雇用は失われ、サービス残業は失われていないという現状は、歪んでしまっていると表現することができるかもしれません。
ブラック企業の誕生とサービス残業のネガティブイメージ
サービス残業は昔から存在していました。
しかし、ネガティブな意味合いを持って世間から認知されるようになったのは、サービス残業の誕生からだいぶ後のように思えます(ぼくの感覚ではありますが)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業も、その好ましいとはいえない経営自体は昔から存在していながら、「ブラック企業」と呼ばれるようになったのは最近のことであるといえるのではないでしょうか。
参考:昔はブラック企業のような会社が沢山ありませんでしたか? – 最近では「ブラ… – Yahoo!知恵袋
ブラック企業が「ブラック企業」になったのは、終身雇用が失われつつあることで、雇用が保障されない、会社への帰属意識が低下していることに起因しているといえます。
変な言い方をすれば、ブラック企業はブラックなことをしていることそのものが原因で「ブラック企業」と呼ばれるのではなく、「本来セットとなるはずの長期雇用が失われているにも関わらず、ブラックなことしていること」が原因といえるのではないでしょうか。
これはサービス残業のネガティブなイメージに関しても同じことがいえるでしょう。
また、会社が雇用を強く保障してくれていて、会社への帰属意識が高いのであれば、サービス残業に対してネガティブなイメージを持たないのではないかとぼくは推測しています。
まとめ
- なぜ日本にはサービス残業があるのか?→終身雇用があるために、日本にはサービス残業がある
- サービス残業は終身雇用のために行われた
- 終身雇用によって会社への帰属意識が高まるためにサービス残業が受け入れられた
- 現在は終身雇用が失われつつあるが、サービス残業は失われていない
- ブラック企業の誕生は、企業のブラックな行為そのものというよりも、その背景にある失われつつある終身雇用や社員の帰属意識低下が根本的な原因かもしれない
すでに議論されていることかもしれませんが、ふと本を読んでいて思いついたので書いてみることにしました。
こうして考えてみると、サービス残業そのものが「悪」というわけではないのかもという気もしてくるわけです。
この記事を書いたのは学生時代ですが、社会人になってもこの考え方は変わりません。
会社からの十分な支援があれば、残業に対する社員の不満は薄れるように感じます。
しかし、「働き方改革」がうたわれる現代社会においては、不満がなければ残業が多くてもよいという考え方が許される情勢ではありません。
これまでの残業と、これからの残業の意味合いは変わりつつあります。
これまでどのようにしてサービス残業が成立していたかを押さえつつも、今の社会でどう残業が捉えられているかを知り、新たな残業のあり方を模索する必要があるでしょう。