ぼくは「ミニマリスト」という概念はとてもおもしろいと感じていて、研究しています。
ミニマリストに対して否定的な意見を持つ人もいますが、なぜぼくがミニマリストに興味を持っているのかについてお話ししていきましょう。
幸せの観点からミニマリストをみたときに、一般的に幸せであると思われることを否定するのです。これが非常に興味深い。
幸せの一つの側面を否定する
ぼくは「なにが人を幸せにするのか」ということについて勉強していますが、ミニマリストはこのことに関してヒントを与えてくれます。
一般的に物が多いほど人は豊かである、幸せであると考えられているにも関わらず、ミニマリストは「物が少ないほど豊かである」という考え方を持っているといえるでしょう。
もちろん、人によって定義が異なるため「必要な物しか持たない」ことと「物が少ないこと」は別のことだという人もいます。
いずれにせよ「物の多さ」こそが豊かさの象徴ではないという考え方においてはミニマリストの特徴と言えるでしょう。
このように、ミニマリストの存在は「物の多さ」が必ずしも人を幸せにするわけではないことを教えてくれます。
物が少なければいいというわけではない
こうした話をすると、「物が少なくても不幸な人はいる」「物はたくさんあるが幸福だ」という反論をする人がいるでしょう。
しかし、ミニマリストを幸せの観点からみたときにわかるのは、「物が少ないほうが幸せだ」という極論ではありません。
ミニマリストの存在からわかることは、物の量は人の幸せに対して絶対的な影響力を持っているわけではないということです。
たくさん物を持っていても不幸な人がいるし、物が少なくても幸せな人がいる。もちろん、物が少なくて不幸な人はいるし、物が多くて幸福な人もいるでしょう。
「なにが人を幸せにするのか」を考えるとき、物の量はそれほど問題ではないということがわかります。
ミニマリストの存在だけでは幸せについて全てを知ることはできませんが、「物」という視点において大きなヒントを与えてくれることは間違いありません。
いわゆる「幸せ」と反対の意見
このように一般的に「こうすれば幸せになれる」と考えられているものは、意外と幸せになるために必須の要素ではないことがあります。
例えば、お金があれば幸せになれるわけではないという考え方があげられるでしょう。
近年では特にこうした考え方が広まりつつあります。一方で、この考え方が不景気ゆえの現実逃避的なものであるということもできるでしょう。
しかし、この意見も決して「幸せになるのにお金が必要ない」と言っているわけではありません。あくまでお金は人を幸せにする要素のたった一つでしかなく、絶対的なものではないということです。
「なにが人を幸せにするのか」ということに関しては、お金や地位、安定などが必要不可欠な存在だと認知されています。ぼくの周囲の学生もそれが真実だと信じて進路を決定しているでしょう。
しかし、本当にそれだけだとはぼくは思えません。それらの影響を認めるものの、それはあくまで幸せの一要素でしかなく、もっと根本的なものがあると考えています。
この問題を考えるとき、ミニマリストの存在は一つの大きなヒントを与えてくれますし、非常に興味深いのです。
なお、ミニマリストはかつて人間が自由に生きていたときの生活に類似する部分があるため、人を幸せにしているものだといえると考えています。