自分の意見がないと考えている人は多くいます。
しかし、一方でそれを問題視しないようにしている人もいるでしょう。
また「意見がない」ことを思考法などのテクニックで解決しようとする人もいます。
確かにそうした方法で解決できる人もいるかもしれませんが、意見が言えない人というのはたいていもっと根本的な問題を抱えているものです。
今回「意見が「ない」ことなんてことはない、意見がないことを問題視するべき、意見が言えない人は自信という精神的な問題を解決するべきという視点の元から、アドバイスという形で僕の意見をまとめています。
意見がないのではなく「いえない」だけ
「意見がない」といいますが、本質的に意見がない人はそうそういないでしょう。
実際は意見がいえないだけであり、そんな自分を受け入れたくないために、「できない」のではなく「ない」と言い訳していることがほとんどです。
こんな風に書くと「そんなことはない」という人がいるかもしれませんが、その時点で自分の意見を発信しています。
多くの場合「どう思いますか?」「俺はこう思うけど」と言われると人はすぐに反応できるものです。そして、それももちろん意見なのだといえます。
本当に自分の意見がないと悩んでいる人も、実は意見そのものは隠れているが持っていて、それを発することが出来ない点に問題があることを認識するべきです。
最初は、意見を表明しなくてもいいですが、意見を持っていることはしっかりと認識するべきでしょう。
自分の意見をいえないことは不幸である
自分の意見がない人は不幸です。
人はそれぞれ独自の価値観を持っていて、それをたくさんの人とすり合わせながら、自分を体現していくものだといえます。
それにも関わらず、自分の意見を持たず周囲に流されたり、不満を持ったまま従っていることは不幸でしかありません。
「自分は周囲に合わせるタイプ」「なによりも揉め事を回避したい」といった考えは、多くの場合言い訳でしかないでしょう。
そういう考え方の人だとしても、芯には自分の意見を持っている状態が好ましいといえます。
まず、自分の意見がないことを肯定的に捉えることをやめましょう。
好かれるために同調することはバカバカしい
上記の内容と重複しますが、周囲とぶつからないために、同調することはとてもバカらしいことです。
人の評価を気にして意見をいうことは、結局自分を不幸にしていることが多いことに気づくべきでしょう。
意見を周りに合わせることがバカバカしいと気づけば、自分の意見を発信していこうと思えるはずです。
常識の枠のなかにいるだけで楽しいだろうか
自分の意見を言うということは、常識の枠から少し飛び出ることを意味します。
みんなが当たり前のように思っていることをいっても、それは意見とは言い難いからです。
常識の枠から飛び出すことをせずに、ずっと安全な人生を送るだけ十分だと感じますか?
ぼくは常識的でない、自分らしいことをするときにこそ、楽しさを感じられるのではないかと思います。
感情を抑圧するべきではない
意見がないという人は、怒りや嫉妬といった感情を押さえつけてしまっています。
世間では、自分の感情を押さえつける人のことをクールだと賞賛しますが、本当にそうでしょうか?
自分の言いたいことを言わず、感情を押さえつけている人は本当にクールでしょうか?
意見がいえないことを「自分はクールだ」などと言い訳するべきではありません。
感情を抑圧することと、クールであることはまったく違うものです。
本当の意味でクールな人は感情の起伏は乏しくても、それを押さえつけることはしないし、問われれば自分の意見をしっかりと述べることができるのではないでしょうか。
いずれにせよ、自分の意見がいえないときに「自分はクールだから」などと言い訳するべきではありません。
人は考え方や価値観がそれぞれ違う
意見を言えない理由として、誰かから反発されたり、賛同を得られなかったりすることがあげられます。
しかし、そんなことを気にしていては一生意見など言えません。
そもそも、他の人と違っているからこそ意見を発する意味があるのです。
また、人間は誰もが異なった価値観を持っています。
ある程度同じような意見を持っていることもありますが、完全に一致するということはほぼないでしょう。
ですから、誰かと意見が違ったり、揉めたりすることを恐れていては意見がいえないとぼくは主張するのです。
「あの人は誰もが納得できる意見を言っている」と思うこともあるかもしれませんが、そうなるためにはとにかく意見を言う経験を積まなければいけません。
恐れずに意見を言うことは非常に難しいことですが、どうせ反論されると割りきって、意見を発信していくことがなにより大切でしょう。
自信をもつべき
この「自分の意見」に関する問題は、結局のところ自信をもつべきであるという結論に到達します。
どんなテクニックや理屈を集めたところで、自信がなければなんにもなりません。
ただ、何度か述べたように、「意見のない自分を肯定しない」ことは同じくらい重要になります。言い訳をしていては改善の見込などありません。
自分は意見がいえないという問題を抱えている、としっかり認識したうえで、意見を言っていこうという覚悟を持つべきでしょう。
とにかく意見を発信してみる
最初はとにかく質にこだわらずに意見をいうことをおすすめします。
間違いなく批判されたり、わかりにくいなどど言われるでしょうが、発し続けているうちに緊張しなくなり、質も向上していくでしょう。
慣れてからテクニックなど表面的なものにこだわればいいのであって、最初はなにより「自分の意見をいえる」という内面的な面を備えるようにできるといいと思います。
もっとも、何度も何度も意見を言っているのに、どうしてもストレスが凄まじく、うつ状態になるようであれば、また別のやり方を考えるべきです。
ぼくは苦しい思いをし続けて、頑張ったらどうにかなるという考えはあまり好きではありません。辛いなら逃げて、別のやり方を探すべきでしょう。
まとめ
今回は「自分の意見がない」という人へのアドバイスをまとめました。
- 意見が「ない」というが、本質的には「いえない」だけ
- 自分の意見がいえないことは不幸だと認識するべき
- 自分の意見をいえないことを「気を使える」「クール」などと言い訳するべきではない
- どうせみんな価値観は違うのだから、「人と違う」ことを恐れて意見を言わない意味などない
- 結局、自信を持つことが、なにより意見を発信することに繋がる。テクニックではない
具体的なテクニックは書いていません。
確かにそのようにシンプルなテクニックを提示したほうが、気楽にできるかもと思えるかもしれませんが、大して意味のないことが多いものです。
人に対して自分の意見を言うときの恐怖や不安に打ち勝つことが何より大切でしょう。
精神論的ではありますが、こういった自分の内面に関わるようなものをできるようになりたいとき、気楽で簡単な方法などはそう転がっているものではありません。