ミニマリストは従来の価値観を覆す考え方ですから、反発する人も多いことは間違いありません。
「モノが少ないほうがいい」といって空っぽの部屋を公開したり、友人を呼んだりするのは勇気のいることでしょう。
それでも、ミニマリストはモノが少ないほうが豊かな人生を歩めると信じていますし、実際に豊かになれたと感じている人は少なくありません。
そんな従来の価値観を覆し、周囲の目も気になるであろう状況にも関わらず、なぜミニマリストという考え方が生まれたのでしょうか?
今回はミニマリストが生まれた理由に関していくつかの仮説を考えました。
これらはそれぞれが独立しており、唯一の誕生理由かも知れませんし、それぞれが相互に関連しており影響を与え合うことで、ミニマリストが誕生したのかもしれません。
憧れとブーム
一番単純で大きな理由は、偉大な人物へのあこがれによる「ブーム」でしょう。
Appleの創設者スティーブ・ジョブズやフェイスブックのマーク・ザッカーバーグはミニマリストであると言われています。
ミニマリストはMac bookの愛用者が多いことでも知られており、これがスティーブ・ジョブズがミニマリストと関係があるのではと容易に想像することができるでしょう。
こういった偉大な人物へのあこがれが、モノのない生活への模倣につながり、ミニマリストという考え方が広まったのではないでしょうか?
スティーブ・ジョブズはいつも同じ服だった。ISSEY MIYAKEの黒のタートルネック、リーバイス501、足元はニューバランスのスニーカーで、公的な場のプレゼンもこの格好でこなした。フェイスブックの創設者、マーク・ザッカーバーグはいつもグレーのTシャツ。アインシュタインもいつも同じ形のジャケットしか着なかったという*1。
お金がなくなってきた
若者のクルマ離れという問題がよくあげられています。この問題と若者の間で広がっているミニマリストは関係があるのかもしれません。
クルマ離れは様々な原因があげられています。単純なものとしてお金がなくなってきた、つまり不景気によるものだということがいえるでしょう。
お金がないとモノを買うことができません。しかし豊かになるにはモノがなければいけないと一般的には考えられています。
しかし、誰しも豊かになりたいと願っているものです。
そこで発想が転換されました。モノが少ないほうがむしろ豊かに慣れるのではないかと考えたのです。
この発想によって、お金がなくても、モノがなくても、豊かな人生を送れると考えられるようになりました。
一方で、これはお金がないことに対する現実逃避という反論が想定でき、議論の余地があるといえるでしょう。
大量消費社会への反発
「ステルス・マーケティング」という言葉が一時期はやりました。
簡単に言ってしまえば、企業がお金を儲けるために今まで消費者に気づかれないように行っていた儲けのテクニックです。
そんなことが一般に知られ、流行するということから、消費者が賢くなってきたということがわかります。
他にも企業がお金を儲けるためにやってきたことを消費者は知り、それに反発するようになったのではないでしょうか?
企業は常に消費者にモノを買ってもらわなければ、利益を計上することはできません。
その過程において、消費者を誘導したり、判断ミス起こさせたり、無駄な買い物をさせたりすることがたまにあるのかもしれません。
そうしたことに反発する消費者は「もうだまされない。私は必要な物しか買わない」と思うようになったのでしょう。
ミニマリストは衝動買いを基本的に嫌います。それはモノを増やさない以前に巧妙な販売戦略への抵抗という意味もあるのかもしれません。
情報技術の発達
情報技術の発達により、モノを実態のある状態で所有する必要が少なくなってきました。
CDはMP3に本は電子書籍に、娯楽もその多くはパソコンに入ることでしょう。
ミニマリストは「モノはいらない」と言っていても、やはり芸術に触れたり、なにかを楽しんだりするという機会を失いたいとは思っていません。
以前はその両立は難しい面もありましたが、今ではありません。多くをパソコンに入れて持ち運ぶということも十分に可能になったのです。
ミニマリストでパソコンやスマートフォンを持っていないという人は見たことがありませんから、ミニマリストが誕生するためには背景に情報技術の発達があることはほぼ間違いないと思えます。
モノの効用が小さくなってきた
以前よりもモノの効用が小さくなってきました。乱暴かつ簡単にいえば、昔ほどモノで感動することが少なくなってきたということです。
昔、白黒テレビが誕生し、それがはじめて家庭で見られたとき、人々の感動はどれほどのものだったでしょうか。
我が家に4Kテレビが来たとして、どれほど感動できるでしょうか。
どちらも新しい技術の体験ではありますが、その感動の大きさは異なります。
4Kのほうがはるかに優れた技術ではありますが、「観れる→キレイに観れる」という変化による感動よりも、「観れない→観れる」という変化による感動のほうが大きいのです。
効用に話を戻せば、最近の新しい商品は「あったら便利だけど、なくても困りはしない」という物がほとんどです。
自慢をしたり、「もっと」生活しやすくすることはできますが、必要不可欠ではありません。
そのため新しい物が出るたびに買う必要はないと考え、モノへのあこがれを感じにくくなったのではないでしょうか。
とはいえ、これはミニマリスト誕生の根源的な理由とは言えないかもしれません。
効用が小さくなっても必要な物は必要です。普通、必要だと思われるものでも、ミニマリストは捨てているということがあります。
人間は本来ミニマリストを好む
簡単に言ってしまえば、「狩猟採集社会の文化を現代の人々は潜在的に求めている」という前提があります。
さらに「狩猟採集社会の人々はミニマリストであった」という説明をすることで、「人々は潜在的にミニマリストという生き方に馴染みがある」ということができるということです。
「いや、俺は全然ミニマリストなんかになりたくない」という人もいますが、これは狩猟採集文化と農耕文化のどちらにより親和性があるのかという話題で説明できます。
詳しくは以下の記事を参考にしてください。
人々は狩猟採集社会の文化の方がストレスを感じにくく、より豊かに生きられるのではないだろうか" class="broken_link" rel="nofollow">*2。現代社会に感じる違和感は狩猟採集社会とのギャップである現代は農耕社会ですが、人間は狩猟採集社会の頃の文化が本能的に残っています。これが現代社会に馴染めない人が存在する理由かもしれません。物を最小限に抑えることで自由に移動できるというライフスタイルは、獲物を求めて移動を繰り返していた狩猟採集社会の文化と一致するといえるより引用" class="broken_link" rel="nofollow">*3。ミニマリストは狩猟採集社会への回帰なのかもしれないミニマリストは狩猟採集社会の文化を求める動きから生まれたのではないかというお話。ミニマリストと狩猟採集社会の人々の共通点をあげています。
まとめ
- 憧れとブーム
- お金がなくなってきた
- 大量消費社会への反発
- 情報技術の発達
- モノの効用が小さくなってきた
- 人間は本来ミニマリストであった
今回は「なぜミニマリストは生まれたのか?」という疑問に対して、6つの仮説を紹介した。
1と2は根本的な原因であるならば、ミニマリストは一過性のブームであり、いずれは終わってしまうと考えられるでしょう。
しかし、ぼくはブームは去ってしまったとしても、一定の信念を持ったミニマリストが残るだろうと予想しています。
それはやはり3以降原因があったり、人の目を気にせずにモノを持たない生活をすることが、人にとって豊かな生活であると信じている人たちだろう。
*1:佐々木典士(2015)『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』ワニブックス p.157