人との比較で優越感を得ている人は幸せにはなれない。高層マンションの下層住民の例

生活
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「ある日、妻が『高層階の人からバカにされた』と落ち込んでいたんです。ウチは平米あたりが安い6階の部屋に住んでいるんですが、低層階と高層階は使用するエレベーターが分かれている。で、エレベーターホールで出くわした高層階に住む知人に『6階だとすぐに部屋に行けていいわね』って言われたのだ、と……」

劣等感を抱えて生活する「タワマン最下層」の住民たち より

率直に言ってどうしようもない人だなと。

人と比べることで優越感を得ようとするから、逆に人と比べることで劣等感を得ることになるんですよ。
とある家庭が高層マンションの6階の部屋を買ったものの、上層階の人に対して劣等感を抱くという話です。

人と比べようとするから幸せになれない

高層マンションは確かに金銭的にハードルが高いですから、豊かさの象徴であるということはできるでしょう。
この奥さんは自分が豊かであることを周囲に見せしめるという点において、高層マンションの価値を見いだしていると思います。

この人はそうやって、人よりも優位な立場にいることを実感しないと幸福を得られないのです。
奥さんは、高層マンションに住んでいることは素晴らしいことで、さらにそれが上の階ならなおさらよいと考えています。

だから自分よりも上の階に住んでいる人に対して劣等感を抱くことになるんです。

「6階だとすぐに部屋に行けていいわね」と言われたことも、もしかしたら純粋に「短時間でいけるから羨ましい」と言っただけかもしれません。
しかし、奥さんは上の階層の人たちに劣等感を抱いているから、どうしても嫌味としてとらえてしまうわけです。

明らかに嫌味だったとしても、「そんなこと言うなんて、お金はあっても心は豊かじゃないのね」と軽く流すべきです。

都心に住むサラリーマンにとって、高層マンションに住むことはひとつの憧れであり、ステータスとなる。しかし安易な気持ちで引越してみると、雲の上の届かない世界が見えてしまうことも事実なのだ。

上には上がいるってことです。
ですから、人よりも優位に立つことで幸せになれると考えている人は、一生に幸せになることはできません。
一時的に優位に立って幸せを感じて、自分より上の存在に気づき劣等感を抱く。
これを死ぬまでずっと繰り返していくことになります。

幸せは自分の中で得るべき

高層マンションに住んでいる奥さんよりも、自らの意思で田舎の安い家を買って住んでいる人のほうが真の意味で豊かであることがあるでしょう。

そういう人は自分は田舎で生活するのがあっていると考えていて、都会の人に対して劣等感など抱いていないものです。
逆に「都会なんてダメだ、田舎の方がいい」と都会に対して優越感を抱いている人もいますが、社会的評価は未だに田舎よりも都会の方が高いものです。

ですから「まだ東京で消耗してるの?」と言っていたとしても、田舎暮らしを選んだのは、他人と比較したり周囲の評価を気にしたりするものではなく、やはり自律的なものであるということができます。

高層マンションの高層階にいる人は優越感なんてもってない?

 一方で、真のセレブはどう見ているのか。タワーマンションの46階に住む松本慎司さん(仮名・34歳)は、ゲストルームの存在についてこう話してくれた。
「うちの高層階には、ゲストルームという来客が宿泊するための部屋があるんですが、15階以上に住んでいる人間には劣等感もなく、ほとんど関係ないですね。うちは46階だからたまにインターネットが繋がらず圏外になることもあって、ネットのことを考えたらむしろ低層階に住みたいくらいですよ(笑)。でもやっぱり、友人を部屋に招いたときは景色を見ていつも喜んでくれますからね」

この発言をちょっと嫌味っぽいととらえることもできますが、逆に対してマンションの階層なんて気にしてないんじゃないかと考えることもできます。
もっとも高層階に住んでいるからこそ、こういう余裕の発言ができるんだと言われてしまえば、この記事だけでは判断はできないのですが……。

いずれにせよ、高層階に住んでいた人がもし下の階層に移ったとしても、「景色は悪いけど、すぐに家に着くから意外と便利ね」と素直に思えるくらいになると、その人は本当に他人との比較よりも、自分の価値観を中心に幸せを得ているといえるでしょう。

幸せになるためには、人と比較し優位に立つことではなく、自分の価値観を確立しそれを満たすことが必要です。
自分と他人を比べないということは非常に難しいものですが、それができることで初めて「自分らしさ」を追求することができるようになるでしょう。

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