自分がやりたくないことを「やらなければ」と悩んでいる人は非常に多い。
今回は「やりたくないことはやらなくていい」という基本的な主張をもとに、悩んでいる人たちに伝えたい事をまとめた。
やりたくないことをやっているのは自分の選択によるものであること、人は理想を諦めなければならないと勘違いしていることなどを説明している。各項目は関連しているが、それぞれの別の視点からみているものが多い。
また、マーク・アルビオンの『お金で買えない「成功」と「幸福」の見つけ方』からの引用が多く登場する。
この本は、本当に自分のやりたいことを実現した人たちによる7つのエピソードが書かれている。また興味深い研究データなども紹介されている(著者はかつてハーバード大学で教鞭をとっていた)。
こうしたことで悩む一番の原因は「やりたいないことをやると新しい自分の可能性が見える」「仕事を選ぶ人は出世しない」といったメリットが信じられているからではないだろうか。
この記事の最後には、そうした一般的な説とは正反対の説を示す実験結果を紹介する。
自分がそこにいるのは自分の選択の結果
でも結局、私は自分の意志で、そういう会社に勤めているわけですよね。だれからも強制されているわけじゃありません。生き方はどうにでも変えられるはずです。なのに、それができない。そんな自分がふがいなくて、許せなくて……*1。
この言葉を言った人は、自分のやりたくないことをやり、現状を変えられない人の状態を的確に表している。
確かにお金や将来といった問題は存在するものの、決してその安定した行き方を強制されているわけではない。やりたければやればいいのだ。
やりたくないことをやり続けている人は、「やり続けなければならない言い訳」と「現状に対する愚痴」の両方を抱えていて、人生が楽しそうにはみえない。
「この仕事は確かにやりたくない部分もあるけど、そんなことより家族の生活のほうが大切だから」と本気で思えれば、まったく問題はない。むしろそれは現状に満足しているといえる。
しかし、そうした考え方にどこか違和感を覚えるのであれば、言い訳などぜずに、自分で新しい生き方を選択していくべきである。
尊敬する人と、やっていることのギャップはないか
MBAの取得を目指している学生に、尊敬している人物は誰かという質問をすると、キング牧師やマザー・テレサ、ガンジーなどの人物があげられるという。
莫大な財産を築いた人ではなく、彼らのように人のために尽くした人が圧倒的に多くあげられるのだ。
しかし、意外にも、肝心のビジネス界の人物が、尊敬の対象や見習うべき手本とされるケースは寂しいほど少ない。ほかならぬビジネス・スクールにおいて、である!*2
このことから、MBAの学生にとっての理想の人物像は「人のために尽くしたい」というものであることがわかる。
しかしながら、MBAの学生だけでなく、多くの人たちは自分のやりたいことではなく、「お金」「地位」といった現実的なものを得なければいけないと感じている。
尊敬している人はそんなことをしていないのに、自分の場合はそうした安定を求めなければならないと思い込んでしまってはいないだろうか。
いつかは絶対に悩む
ハーバード大学の教授だったというマーク・アルビオンは、中高年の時期に、自分のキャリアについて悩んだという。
ハーバード大学に勤めていても自分のキャリアに悩む、という点も非常に興味深い。
しかしより注目して欲しいのは、その仕事に十年以上勤めていても自分のあり方に疑問を覚えるということである。
その十年間は、私にとってまさに人生の「思秋期」だったといえるだろう。希望に満ちた「思春期」にたいし、自信喪失や再適応といった問題に直面する、中高年の苦悩の時期である。*3
「とりあえず、やりたくないことでもやっておきなさい」「やりたくないことから逃げてはいけない」というアドバイスを真に受けていいものだろうか。
いずれ悩んで苦しむことがわかっているのだから、いつかは受け入れられるだろうと思わず、すぐに現状を変えるために行動するべきではないだろうか。
理想は実現できる
「マーク、ご立派な理想論じゃないか。でも、ハーバードを辞めて、いったいどうやって食べていくつもりだい?」*4
マーク・アルビオンは理想論にしたがって行動し、本当に自分がしたい仕事を始めることで理想を実現した。
なぜか、「目の前」で尊敬されるのは現実的な人だが、「社会」で尊敬されるのは理想を実現した人である。
理想を実現した人だって、最初は理想論を掲げる非現実的な人間だったはずだ。それにも関わらず、理想論を掲げることは恥ずかしいことだと思っている人が多数である。
イチローのように、プロスポーツ選手は幼い頃から「プロになりたい」という理想を掲げ、掲げ続けたからこそ理想が実現されたことを忘れてはいけない。
つまり、理想主義や理想論は、決して実現不可能で非現実的なものではなく、実現されるという可能性もあるということだ。
それを理解せずに理想論を批判することは無意味である。
自分のやりたくないことを明確にしておく
やりたくないことなんて明確だと思うかもしれないが、意外と正確に認識できていない人は多い。
例えば、仕事をしたくないでは不十分である。満員電車に乗りたくない、たくさんの人と関わるのは嫌、毎日同じことの繰り返しで鬱になるといったように、具体的になにが自分を不快にさせるのかを認識しなくてはいけない。
そうすると、やりたくないことをせずに生きていくための選択肢が大幅に広がる。
仕事をせずに生きていくことは難しいが、満員電車に乗らないでいい職場はまだ簡単に見つかるだろう。
また、スポーツで苦しい思いをするのが嫌だから、スポーツをやりたくないという人がいるとしよう。
そこで音楽をはじめたら、実は自分が本当に嫌なのは「緊張」であったために、同じように音楽でも苦しむことになるかもしれない。
やりたくないことを明確に具体的にしておかないと、やりたくないことから逃げたつもりでも、実は逃げられていないということがあるのだ。
できれば、自分のやりたくないことを紙などでリスト化して書き出しておくといいだろう。
やりたいことをしている人が成功する
こんな興味深い研究データがある。一九六〇年にビジネス・スクールに在籍していた一五〇〇人のMBAを対象に、その二十年後(一九八〇年)の暮らしを追跡調査したものだ。
一九六〇年当時、調査対象者がまだ学生だったときに、アンケートによって彼らはすでに二つのグループに分類されていた。
Aグループは、「お金」優先タイプ(中略)
Bグループは、「夢」優先タイプ(中略)
一五〇〇人のMBAのうち、Aグループが八三パーセント、Bグループが一七パーセントである。
さて、二十年後、彼らの中から一〇一人の「富豪」が誕生していた。一人はAグループ、一〇〇人はBグループのメンバーである*5。
この実験では「現実」を優先する人と、「理想」を優先する人との間で、明らかに大きな差が生まれることを示している。
お金を優先する人は、やりたいことを我慢することで経済的安定を得ようとする人が多い。
しかしながら、夢を優先している人に経済的成功という面でも負けてしまっている。もちろん夢を優先した人はやりたいことをやっている。
現実をみている人のほうが良い人生を歩むなんて、この実験では実証されていない。
まとめ
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「自分がそこにいるのは自分の選択の結果」では、自分がやりたくないことをやっているのは、結局のところ自分自身の選択によるものであることを説明した
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「尊敬する人と、やっていることのギャップはないか」では、多くの人たちが理想とする人物と、自分たちがやっていることにはギャップがあることを述べた。これは現実への恐れによるものである。
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「いつかは絶対に悩む」では、やりたくないことに「慣れ」など存在せず、いくつになってやりたくないことは受け入れらないということを述べた。だからこそ、今すぐにでも行動を起こすべきである。
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「理想は実現できる」では、あたかも理想は実現できない、非現実的なものであると語られがちだが、実際は理想は実現されるものであるということは述べた。当たり前のことだが、これを受け入れている人は少ない。
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「自分のやりたくないことを明確にしておく」では、本当に自分がやりたくないことはなんなのかを明確にしておくべきだと主張した。勘違いをしていると行動を起こしても上手く行かないことがある。
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「やりたいことをしている人が成功する」では、現実主義者よりも理想主義者のほうが、「現実」の面でも成功をおさめることができるという実験を紹介した。やりたいことをやると、お金もついでについてくるともいえる。
ぼくは「やりたくないことはやらなくていい」と考えている。
そうした考え方を、わがままや自分勝手という言葉で片付けてしまうことはできないだろう。
なぜなら、そうした生き方でも「成功」ことはあり、それどころか現実主義者よりもはるかに豊かな人生を歩むことができる可能性もあるからだ。