幸せになりたくないと考えてはいませんでしょうか?
不思議に感じる人もいるでしょうが、幸せを感じると不安をいだいたり、幸せを自ら回避しようとする人がいます。「幸せ恐怖症」と呼ばれることも。
当然ながら、こうした思考を改善しなければ、幸せになることは出来ません。
今回はなぜ「幸せになりたくない」と考えるのかを心理的に説明し、その対処法も示します。
その心理を理解することで、幸せを無意識に避けるという行動を防ぎ、素直に幸せを受け入れることができるようになるでしょう。
幸せになりたくない人の心理
失ったときの反動が怖い
人間はリターンよりもリスクに注目してしまう生き物であることは、科学的に証明されています。
そのため、なにか幸せなことがあったときでも、「付き合えたけど振られたら辛い」「志望校に入学できたけどついていけるか不安」というように幸せの中に不安を感じることがあるものです。
ですが、ほとんどの場合リスクを過大に評価しているだけで、不安に感じるほどのものではありません。
素直に喜ぶことのできる教育を受けていない
子どもが褒められた時、全力で否定する親が子どもをつぶす : ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。
褒められたときに、幸せを感じたときに、すぐに親がそれを否定したりすることがあります。
こうした教育を受け続けると「幸せを感じても油断してはいけない」「褒められても上には上がいる」と考えるようになってしまうのです。
これはつまり幸せを感じたり、褒められたとき、反射的に不安も同時に感じてしまうということになり、素直にそれが受け入れられなくなるのです。
せっかく褒められたのに、そのあと2倍くらい嫌なところを取り上げられて否定された子どもは、「自分なんてやっぱりダメなんだ・・」と自分に刻んでいくよ。すると、自己評価が正しくできない、自分で自分を満たすことができない子どもになっちゃうよより引用" class="broken_link" rel="nofollow">*1。子どもが褒められた時、全力で否定する親が子どもをつぶす : ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。こういう場面をみると、悲しくなる。褒めている人も、その子を見ていて素直に思ったとおりに言ってくれているだけ。子どもさんも、その子のやってることで褒められただけ。なのに、なんで親が出てきて全力で否定するんだろう?日本には謙遜という言葉があり、...
他人のことを考えすぎている
「あの人は辛い思いをしているのに、私は幸せになっていいのだろうか」
このような考え方をして、葛藤してしまう人がいます。
よくあるのは親よりも幸せになってはいけないというもの。親があんなに苦労しているのに、自分だけが楽をしているのは申し訳ないと考えることです。
他にも「自分は食べるものに困っていないが、アフリカの子どもたちは……」というものもあります。
こうした人たちがまず知るべきなのは、幸せは奪い合うものではないということです。
あなたが幸せになったからといって、他の人がかならず不幸になるわけではありません。もしそうなってしまうことが多いのなら、幸せを得ている形に問題があるでしょう。
そして次にまず誰よりも自分を尊重することを覚えましょう。それが周囲の人々の幸せに繋がることもあります。
他人の幸せを素直に喜べない
幸せになると妬まれたり、悪口をいわれたりするという恐怖心から幸せになりたくないと考えることがあります。
こういう人は他人の幸せを素直に喜べない人が多いものです。
常日頃から、幸せな人をこころよく思っていないために、「幸せになると妬まれる」と感じてしまうのでしょう。
これはそう考えてしまう本人に大きな問題があります。人の幸せを素直に受け入れられるようになることが、自分の幸せを受け入れることに繋がります。
苦労している自分に快感を覚える
自ら望んで不幸な選択をしてしまうことがあります。
『心理学99題』では、暴力を振るったり、酒癖の悪い「ひどい男」と付き合って、別れた後も同じような「ひどい男」と付き合う女性がいると例にあげています。
自我(自分の感情や意志、行為など)が関与すればするほど、相手への愛着が高まることがわかっています。つまり、苦労すればするほど愛着がわいてしまうということです*2。
あえて不幸な選択をし、苦労をすることで、そんな自分を肯定してもらおうという心理がはたらくために、こうした行動してしまうのです。
こうした傾向は女性に多く見られます。「面倒見の良い女性」が社会的に評価されることが影響していると考えられるでしょう。
悲劇のヒロイン症候群と呼ばれる症状も、この幸せになりたくない心理と関係しています。どちらも不幸であることに充実感を覚えているのです。
ただし、このようなことを繰り返していては真の幸せを得ることはできません。
幸せになりたくないという心理から抜け出すには
ラッキーだと割り切る
なにか幸せなことがあったときは「ラッキー」と軽く受けとめるべきです。
その幸せに大きな意味があると考えてしまうと、なんらかの形で不安を感じてしまうことがあります。
シンプルな考え方ですが、幸せであることを避けようとする人には、ただ幸運だったと考えることは効果的です。
大きな幸せを感じたら一息つく
ぼくは大きな幸せを感じたとき、とても浮ついた気分になりますが、絶対に一息つくようにしています。
一息つくとは、その幸せを誰にも話さずに自分で冷静になれるまで考えることです。
そうすると、高揚した気分でおかしな行動をすることが減り、不安を感じたりすることが少なくなります。
幸せを感じ、浮わついたときの行動というのは、後からやり過ぎだったかなと後悔することが多いものです。
不幸をばらまく人から離れる
なにか幸運なことがあっても「でも……かもしれない」と不幸な逆説を上げる人がいます。
こうした人は、驚くべきことにほぼ反射的に物事を不幸な見方で捉えることができるのです。
あらゆる物事には良い面と悪い面がありますから、悪い面に目を向けることは簡単でしょう。だからといって、必ずしも悪い面に目を向けることが必要なわけではありません。
常に悪い面に注目するような人とは付き合わない、もしくは幸せなことがあっても伝えないようにしましょう。
あなたが付き合うべきなのは、正しく事実を受けとめ、悪い面にも注目すべきだと考えたときにだけ、それを伝えてくれる冷静な友人です。
自分は不幸になりたいのかと考えてみる
自分はとにかく不幸になりたいのかと考えてみてください。
「幸せになりたくない」と考えている人も、不思議な事に「不幸になりたい」とは考えていません。
そうすると「おかしい」と気づくことが出来ます。
幸せになりたくない人も、決して不幸は望んでいません。あくまで不幸にならないために「幸せになりたくない」と思っているのです。
ですから「幸せになると不幸になる」という間違った認識をやめることで、幸せになりたいと素直に思うことできるでしょう。
まとめ
基本的に人は幸せになりたいと思うものですが、中には幸せになりたくないと考える人がいます。
しかし根本的には、そうした人たちも「不幸になりたくない」という心理からそのような考えを生み出しており、結局は幸せを求めているといえるのかもしれません。
しかし幸せになりたくないと思っているうちは、幸せになれないでしょう。
なぜなら、幸せは自分が幸せであると感じているかどうか、という主観に大きく左右されるからです。
甲子園球児が野球をやめて母のため消防士に。これが不幸であるとはいえない。幸せかどうかは主観で決まる – ジブンライフ
*1:http://hibinokeiko.blog.jp/archives/43260395.htmlより引用
*2:岡崎 博之 著,渋谷 昌三 監修(2004)『心理学99題』宝島社文庫 p.124-125