「なんであの人は人の気持ちを考えないんだ」
仕事や日常のなかで、こういった感情を覚える人がいるかもしれない。
あなたは自分のことでなくても、他人の気持ちを考えない行動を見ると怒りを覚えるのではないだろうか。
あなたのような人たちにとって、人の気持ちを感じとることはあたり前で簡単なことでだ。
一方、自分勝手で人の気持ちを考えることのできない人というのは、人の気持ちを感じとることのできない人である。
注目して欲しいのは、人の気持ちを感じとったうえで自分勝手に振るまっているのではなく、人の気持ちを感じとれないために自分勝手に振るまってしまっているということだ。つまりそこに悪意はない。
わたしのいいたいことは、「共感」とはあなたに備わっている特別な才能であり、誰にでも備わっているものではないということである。
そして、あなたが不満を抱いている「人の気持ちを考えない人」はその才能を持っていないだけであり、決して悪意をもって自分勝手に振るまっているわけではないのだ。
共感できる人とできない人
人の気持ちを考えない人
わたしの友人は、人の気持ちを考えない人だった。自分勝手に物事を決め、反発する人の意見も聞かない。面倒な仕事だけを他人に押しつける。
しかし、彼は決して悪意のある行動をするような人間ではなかった。だからこそ、彼の自分勝手な行動は疑問だった。
ぼくは「彼女はこう考えているのに、どうして彼はそれを踏まえて行動しないのだろう」と不満を抱いていたのだ。
他人の気持ちに気づけないだけ
ぼくは彼に不満をぶつけた。「どうして彼女の気持ちを考えてあげないのか」と。すると彼は「彼女はそんなことを考えていたのか」と答えた。
その答えに驚いた。彼は彼女の気持ちを理解したうえで、自分勝手な行動をしていると思っていたのに、実は彼女の気持ちにすら気づいていなかったのだ。
共感は誰にでもある能力ではない
彼女の気持ちは誰もが理解できるものだと思っていた。しかし実際はそうではなく、彼には到底理解できるものではなかったのだ。
彼だけではなく、周囲の人たちのほとんどは彼女の気持ちを理解しておらず、理解していたのは彼女とぼくを含めてほんの数名だけだった。
これは「共感」という能力は誰にでも備わっているものではないということを示している。
共感が当たり前だと思っている人
以下は『さあ、才能に目覚めよう』からの引用である。
彼の最もすぐれた才能の一つは<共感性>で、その<共感性>がいかに有益であるか、(中略)ブルースに直接話したのだ。
話をおえてブルースを見ると、見るからに不思議そうな顔をしていた。(中略)
マーカス・バッキンガム,ドナルド・O・クリフトン(2001)『さあ、才能に目覚めよう』日本経済新聞出版社 p.193-194(太字部分編集)
「そういうことをしていない人がいるんですか?」
この例はまさに「共感」という能力は特別なものあるが、その能力を持つ人はそれが当たり前だと勘違いしてしまっているということを示している。
共感は才能である
先ほど引用した『さあ、才能に目覚めよう』は、人の持つ才能を34種類に分類し、そのうちの5つが個人の持つ才能だとしている。
そして、そのなかに「共感性」という項目があり、それは周囲の人間の感情を察することができる能力だと述べている。
また「ストレングス・ファインダー」というテストによって、その人が持つ才能を割り出すことができる。わたしはやはり共感性を持っているという診断が出た。そしておそらく、彼は共感性以外の優れた才能を持っているのだ。
自分が特別であると認識しよう
人の気持ちがわかるということは特別な能力であることを自覚するべきである。そうすることで「人の気持ちを考えない人」へのいらだちも消えるだろう。
自分の持っている「共感」という才能は誰もが持っているものではない。あなたがそれをできるからといって、他人もそれができて当然だと思ってはいけない。
人の気持ちを理解できないのが当たり前なのである。だからこそ、あなたは特別な能力を生かして、それを周囲に伝える役割を果たすべきだ。