反対意見者の人格を否定する人とは議論ができない

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ネット上での議論をみたり、人に囲まれながらなんとなく過ごしていると「これじゃあ話し合いにならないな」と思わせる人をたまに見かけます。

議論したり話し合う目的は意見をぶつけ合い、よりより答えを模索していくことです。

確かに主張は自分の考えから生み出されるものですが、主張した人の人格を否定し、自分の意見の正当性を証明することでその目的を達成することができるでしょうか?

反対意見者の人格を否定する

反対意見そのものを否定するのは何の問題もないのですが、人格を否定することと議論にはなんの関係もありません。

孫引きになってしまうのですが、以下の文章は「最低賃金1500円にすべき」という意見を持つ人が、反対意見を述べた人に向けたものです。

「所得を上げるには経済成長をすれば良い、という当たり前の結論しか出てこない。」って書いてあるけど、内部留保はガンガン増えてて、それが再分配されず、ブタ積みになってることは知ってるのかな?自民党ですら問題視してることだけど‥。
 
あとはこの記事は「最低賃金引き上げは雇用の悪化をもたらす」っていう典型的な都市伝説を垂れ流してるだけ。もうそれっていろんな学者が否定してるし、ドイツやアメリカの例でもそんなことにはなってない。
 
@valuefp あなた、最低賃金上げろデモが中小企業支援も主張してること知らないでしょ?
 
あといろんな経済的知識も抜けてるし、現状把握もできてないよ。
 
ただ印象操作したいだけの下らない記事書くなよ。いい加減な人だな。
 
出典:ツイッターのAEQUITAS /エキタス公式アカウントのツイートより。2015/12/17

参照:最低賃金1500円デモの批判記事を書いたら主催者から反論が来たので回答してみた。(中嶋よしふみ) – 個人 – Yahoo!ニュース

お互いに良い答えだと信じている

「最低賃金1500円」という議論に関しては、賛成派にも反対派にも論理的な根拠があります。

賛成派は「最低賃金1500円」が良い答えであると信じていますし、反対派は「最低賃金1500円」よりも良い答えがあると信じているのです

上記の文章を書いた賛成派の人は、反対意見者の主張が間違っていることを論理的に否定すればいいだけなのに、「いい加減な人だな」と相手の人格を否定しています。

仮に本当にいい加減な主張だったとしても「あなたの主張は○○だからいい加減だ。だからこちらの主張のほうが良い」というべきでしょう。反対意見を言う人の人格を否定する意味はありません。

とはいえ、最後の一文などけんか腰な姿勢を除けば、上記の文章は反論意見としてより良い答えを模索していくなかで役立つのではないでしょうか。

議論は大体どちらも一理ある

世の中の議論というのは、ほとんどがどちらも一理あるといものがほとんどだといえます。

議論の目的はどちらも根拠があるなかで、どちらが正しい答えなのか異なる意見をぶつけ合わせながら模索していくことです。

それにも関わらず、それぞれの主張の根拠などから離れて人格を否定しているようでは、心に傷をつけあうだけで建設的な議論ができないでしょう。

そのため、反対意見者の人格を否定する人とは良い議論ができないとぼくは考えています。

まとめ

建設的な議論を行うには、フェアな立場でメリットとデメリット、両方を並べて検討する必要があるからです。
 
(中略)
 
異なる意見がぶつかればより良いアイディアが生まれると自分は考えていますので、自分の意見が否定されてもそれはそれで構いません。

かなり冷静に書かれているなぁと感動した記事でもあります。もっとも最低賃金の議論に関して決まった意見を持っているわけではありませんが。

ただ主張をするうえで大切なことがたくさん書かれていますから、ぜひ読まれることをおすすめします。

参照:最低賃金1500円デモの批判記事を書いたら主催者から反論が来たので回答してみた。(中嶋よしふみ) – 個人 – Yahoo!ニュース

今回の紹介した例は、論理的ともいえる意見も含まれていることから、それほど悪いものではないと考えています。

なんの根拠もなしに人格を否定する人を見かけることも少なくないからです。

 
なにかを主張している人たちに対して暴言を吐いているだけという人は、その議論に何の貢献もしていないことを知らなければいけません。

もっとも差別的な意見など、人格そのものが否定されてもしかたないというケースもあるでしょう。

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