甲子園で準優勝した仙台育英の佐々木主将が、「僕は野球をやめます。母子家庭なのに、野球をさせてくれた母のために消防士になって恩返しをします」といった主旨の発言をしたことが話題になっています。
仙台育英のキャプテン佐々木柊野「僕はこれで野球をやめます。母子家庭で私学に行かせてもらって母には苦労をかけました。卒業したら消防士になります」 泣くしかない(`;ω;´) #高校野球
— aitachi (@aitachi) 2015, 8月 19
Twitter上でこの話が賛否両論になっているそうです。
これは良い話ではないという人の主張は、「好きな野球がやりたいのにできない」から不幸だ。だから、これは良い話でもなんでもないというものが主だと思います。
いい話でも何でもない。 だが・・一応奨学金はある。 まぁ奨学金という名の学生ローンだがね・・ 母子家庭の進学助成金とかないのかよ。 母子家庭なら支援したって誰も怒らねーだろうがよ。 好きな野球できねーなんてひでぇ話だ。 https://t.co/Z29CmZRUuj
— 霧夜@NEXT.スト魔女オンリー (@kiriya_Graufunf) 2015, 8月 22
しかし、どうみても素晴らしいエピソードだと思わずにはいられません。
ぼくから見た限り、佐々木選手は素晴らしい人生を歩んでいると考えられます。
このような話を不幸だと言ってしまう人が一定数以上いるという現状は、ぼくたちが「幸せ」についてよく知らないからだと思うんです。
今回は、ぼくは彼がなぜ素晴らしい人生を歩んでいると思うのか、不幸だとは思わないのかを説明したいと思います。
幸せかどうかは主観で決まる
幸せに関してまず重要となるのが、なにを基準にして幸せかどうかを決めるかです。
これを客観的な基準で決めることができるでしょうか?
母子家庭である、年収とても低い、結婚していない、こうした状況だからと必ず不幸だと言えるでしょうか。
一つ、例をあげましょう。
ハヤブサというプロレスラーをご存知でしょうか。彼はプロレス団体・FMWのエースとして、1990年代中盤から2000年代前半にかけ、獅子奮迅の活躍を見せていました。(中略)2001年10月22日、試合中にムーンサルトプレスをセカンドロープから仕掛けようとしたところ、足を滑らせ頭から落下。頚椎損傷で全身不随の重傷を負いました。
spotlight-media.jp
全身不随に絶望した時期もあったとのことですが、それを乗り越えたうえでも、今は「シンガーソングレスラー」として精力的に活動しています。
上記の記事の様子から、彼はとても幸せそうにみえますよね。
おそらく本人も、自分が幸せだと感じています。
あなたは、彼自身が「自分は幸せだ」と感じていたとしても、「身体が不自由だから彼は不幸なんだ!」決めつけることはできるでしょうか?
できませんよね。
身体が不自由という客観的に見たら不幸と思えるような要素があったとしても、本人がそれをなんとも思っていない、むしろそれを幸せだととらえているなら、その人は幸せなのです。
私たちが、幸せかどうかを評価したり、勝手に憐れんだりすることは余計なお世話です。
自分が幸せかどうかは自分自身が決めるのです。
母子家庭だから、好きな野球が続けられないから不幸だと決めつけるのは、無意味だということです。
本人がそれをどう受け止めていることが重要なわけです。
では佐々木選手の場合は、どうでしょうか。
自律的な行動に基づく人生は幸せである
彼は自らの意志で「野球をやめて、消防士になって母に恩返しする」と決めたと考えられます。
強制じゃないんです。
「好きな野球ができない」のではなく、「好きな野球をやらない」と決断したんです。
これが自らの意思、自律的に決定したのであれば、不幸であるとは感じません。
彼は自らの人生を自らの意志でコントロールしています。
人はこういった状態のとき、多くの場合自分は幸福だと感じるものです。
もし、母親に「もう野球はやめて、お金がないんだから、○○な職に就いて」と言われて、渋々野球を諦めたということなら、本人は不幸だと感じるでしょう。
でもおそらく違いますよね。
繰り返しになりますが、彼は母のために、自らその進路を決定したんです。
その母を想う決断も素晴らしいし、自分の意思を明確に持っていることがなおのこと素晴らしい。
どう考えても良い話じゃないでしょうか。
幸せにおいて環境は10%の影響しかない
さらに、補強する意味で、ポジティブ心理学の知識を用います。
孫引きという形にはなってしまうのですが、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ –』から引用します。
ソニア・リュボミアスキーは人の幸福の50%は遺伝、10%が環境、残る40%が日々の行動に左右されると主張している。10%の環境には住んでいる場所、家だけでなくお金持ちが貧乏か、健康か病気か、既婚者か離婚経験者かなどあらゆる要素が含まれる。
:佐々木典士(2015)『ぼくたちに、もうモノは必要ない。-断捨離からミニマリストへ-』ワニブックス p.284
遺伝そんなに大事なのかよという思う方もいるでしょうけど、おいときましょう笑
母子家庭かどうかも環境に含まれますから、10%程度しか幸せに影響しないんです。
母子家庭であることが原因となって、野球を続けることが困難であることも、環境に分類してもいいでしょう。
でも、そういった環境よりも、日々の行動の方が大切なのです。
そして佐々木選手の、「野球をやらない」という自律的な行動は、大きな幸せをもたらしていると考えることができます。
自分らしく生きることが、何よりも幸せにつながるということです。
先ほどのソニア・リュボミアスキーの主張から言えば、「自分の影響の及ぼせる範囲では」という補足を加える必要はありますが……。
多くの人は環境が幸せがどうかを決める大きな要因だと考えています。
でもお金があるとか、裕福な家庭に生まれているとか、そういったことは想像しているより影響は小さいんです。
私はその例をたくさん見てきています(これもいつかお話ししたいですね)。
甲子園はドラマがいっぱい
というわけで、このエピソードは本当に見ていて気持ちがいいなと感じる素晴らしい話だと思います。
それから、甲子園球児を育て上げた佐々木選手のお母様もすごいですよね。
この記事の本筋はここまでです。
ぼくはプロ野球はあまりみないんですが、甲子園は大好きです。
甲子園は一期一会ゆえにドラマが多いし、試合展開もドラマチックです。
勝っている姿も、負けている姿も、その背景にあるドラマも本当に素晴らしい。
こういった、一期一会のとき、本当に人生をかけて物事に取り組むとき、アマチュアはプロを超えます。
ぼくも人生の半分以上、オーケストラの演奏をしたり、聴いたりしていますが、時としてアマチュアがプロの演奏を超えるときがあるんです。
技術はまったく敵わないけど、気迫というか迫力というか、そういったもので理論以上の感動を生み出すことがあるんです。