Facebookが「よくないね!」を導入しても、Facebookは今までと変わらずキレイなままだろう。
Facebookが「dislike(よくないね、やだね)」を導入するということで話題になっている。
この話題の面白いところは、みんな肯定しているが視点が全く正反対だということだ。
(1)これでFacebookの「キレイ」でつまらないという状況が改善されるという人と、(2)これで「いいね!」じゃ違和感がある出来事にも、気軽に共感したことを示すことができるという人にわかれている。
マーク・ザッカーバーグはどういった意図で新しいボタンを導入するのだろうか。
- (1)Facebookの「キレイ」でつまらないという状況が改善される
- (2)「いいね!」では違和感がある出来事にも、気軽に共感したことを示すことができる
- そもそも「dislike(よくないね、やだね)」じゃない
- 「共感」ボタンだと話は変わる
- FacebookはFacebookらしくでいい
- Facebookのこれから
(1)Facebookの「キレイ」でつまらないという状況が改善される
ぼくも最初はこう考えた。Facebookはどうにもキレイすぎて受け付けず、個人名ではやっていない。実名ということもあってか、コミュニケーションが現実に近く、良い話ばかりであることがあまり好みではないのだ。
今回導入される「dislike(よくないね、やだね)」は、そういったFacebookのキレイでつまらない状態を壊してくれると期待しているのが(1)の捉え方である。
みなさん綺麗な情報ばかりで物足りなさを感じてるとおもうんですよ。
よくないね!ボタン導入によって退屈しきったフェイスブックをちょっとでもかきまわしてほしいなとぼくは望んでいます。(下記記事より引用)
こうした意見を持つ人はFacebookにつまらなさを感じており、それを改善してくれるという意味で歓迎している。
(2)「いいね!」では違和感がある出来事にも、気軽に共感したことを示すことができる
もう一方は「悲しい出来事」や「辛い出来事」に対して共感したことを示すのに「いいね!」は相応しくないと考えていた人々の考え方である。
例えば災害が発生したとき、身近な人の不幸があったとき、そんな出来事って「いいね!」とするにはちょっと違う気がする。
でも何かしらの反応を示すために、心の中で「共感しているという意味でのいいね!だよ」と念じながらいいね!ボタンを押すこともありました。(下記記事より引用)
こちらは(1)とは反対の視点で、「今のキレイな」Facebookがより使いやすくなるという意味で歓迎している。
そもそも「dislike(よくないね、やだね)」じゃない
マーク・ザッカーバーグの意図は間違いなく(2)だろう。
そもそも新しく導入されるボタンが「dislike」かどうかも怪しい。Facebookの意図は、悲しい出来事を共有するためのボタンであると言われているのだ。
「よくないね!」ボタンはなにか悲しい出来事がおきて、「いいね!」とは言いづらい共感を表現するために使われることになります。*1
「共感」ボタンだと話は変わる
上記の記事によれば、新しいボタンは「dislike」ではなく、「Empathy(共感)」ボタンだという。こうなると話は大きく変わってくる。
先ほど引用した宮森はやと氏は記事の中で、《「よくないね!」ボタンはなにか悲しい出来事がおきて、「いいね!」とは言いづらい共感を表現するために使われることなる》ということをしっかり認識しつつも以下のように述べている。
悲しい出来事以外にも批判的なことがあったり、議論になるような投稿にはかなり機能しそうですよね。
ただ、押すのにはけっこう勇気いるでしょうが。より引用" class="broken_link" rel="nofollow">*2http://www.miyahaya.com/entry/2015/09/16/131723
しかし「よくないね!」ではなく「共感!」ボタンとなると、ぼくや宮森氏が期待した「議論の発生」や「キレイからの脱却」は期待できない。Facebook上には「いいね!」と「共感!」のボタンが並び、どちらも肯定的な意味を持つからだ。
おそらく(1)の考え方をしている人にとっては、期待はずれになるだろう。
FacebookはFacebookらしくでいい
ぼくがハッとさせられたのはSIRUHA氏の以下の言葉。
「いいね!」に対して安易に反対の意味のボタンを作らないのは、Facebookはケンカをしたり、相手を非難するためのツールではないということより引用" class="broken_link" rel="nofollow">*3301 Moved Permanently
ぼくの場合は「SNSで議論をすべき」という前提をもって考えていたが、SNSがすべてそういったものになる必要はないのだ。
Twitterやブログなど、Facebookにないものを持っているツールはたくさんある。
FacebookがTwitterやブログと同じ方向に進んで行ったらどうなるだろうか。機能が似ているために激しく競合し、レッドオーシャン化するだろう。
しかも実名登録が特徴であるFacebookが、議論や少し気まずい情報の共有といった点で、Twitterやブログに勝つことはない。
そのためFacebookが「よくないね!」ではなく、「共感」ボタンを作るという方向性は間違っていないといえる。
同じSNSやツールであっても、Facebookはケンカをしたり、相手を非難するためのツールではないという特徴を押し出すことによって、競合しない独自の市場をつくることができるだろう。
FacebookはFacebookらしくていいのだ。
それぞれの役割
ブルーオーシャン戦略の考え方を「Facebook」「Twitter」「ブログ」で簡単にやってみると以下のようになる。
- (やや)長文投稿
- 実名登録は必須
- 炎上や激しい議論はしない
- 短文投稿
- 実名登録は任意
- 炎上や激しい議論がある
ブログ
- 長文投稿
- 実名登録は任意
- 炎上や激しい議論がある
このようにそれぞれの特徴が異なることで、単純で激しい競争はおきず、ユーザーは自分にあったツールを選んだり、ツールによって用途を使い分けるといったことができる。
Facebookのこれから
Facebookはどうも飽きている人がおり、利用者が減っているらしい。
最近日本のFacebookユーザーは、たった1ヶ月で330万人も大激減。
増加傾向だった入会者も頭打ちになりつつあります。
世界的にも激減し、欧米のユーザーは嫌悪感すら抱いている人も少なくないようです。
なぜここまで飽きられているのでしょうか?より引用" class="broken_link" rel="nofollow">*4http://happylife.in.net/facebook
ビジネスで上手くいっていないときに「誰かのマネ」や「万人受け狙い」をすることは一見よさそうにみえるが、これではかえって没個性化し、ユーザーは離れていく。
Facebookは炎上や激しい議論をしない、実名で穏やかなSNSという方向性を押し出していくほうが、Facebookに合う人たちが集まってくるだろう。
繰り返すがFacebookは変わらなくていい、FacebookはFacebook独自の方向性を目指すべきなのだ。
そして、ぼくがTwitterで下ネタ専用アカウントを持っているように、私たちは自分にあったツールを、自分らしく使えばいい。