自分の頭で考える力を身につけなさいなどと言われますが、そもそも考える力とはどういうものなのでしょうか。
屁理屈かもしれませんが、考えずに生きている人間なんてこの世にいません。必ず人は思考しているはずです。
それにも関わらず考える力が重要であるというからには、いつも私たちがしている「考える」と、「考える力」や「論理的思考」は別のものであるということになります。
今回は『自分のアタマで考えよう
』や『思考の整理学』といった書籍を参考にしながら、考える力について説明していきましょう。
簡単に言ってしまえば、「知識」を得ることと「考える」ことは別モノです。それらを区別したうえで、目の前の情報からなにかを発明・発見することができるのが考える力のある人といえます。
これだけをみると「それだけか」と思わなくもありませんが、私たちは意外と両者を区別できていませんし、「考える力が俺にはある」と勘違いしていることもよくあるようです。
「知っていること」と「考えること」は別のモノ
思考しているつもりでも知識に「誘導」されている
私たちはしばしば他人の考えをまるで自分の考えであるかのように錯覚します。だからその戒めとして、「誰かが考えたことではなく、あなた自身が考えたことが重要なのですよ」という意味で、「自分の頭で考える」という言葉が使われるのでしょう*1。
ちきりんさんの著書『自分のアタマで考えよう』の例を利用しながら説明していきましょう。
わたしたちは金髪の20代の若者を見て、「信用できないな」と考えるかもしれません。しかし、本当にそれは自分の頭で考えているといえるでしょうか。
世の中で形成された「こういう格好をした若者は信用できない」という知識をすり込まれているため、無意識のうちにこういう人は信用できない人だと思い込んでしまうことがあるといいます。
もしかしたら、その若者は地毛か金髪なのかもしれません。
もちろん、その若者が信用できないと推測もできますが、地毛が金髪なのかわからなければ断定することはできないでしょう。
それにもかかわらず、人は自分がそれとなく持っている「知識」をもとに勝手に物事を推測し、それを「考えている」と勘違いしてしまうことがあるのです。
少し例が悪かったかもしれませんが、この場合は「金髪は不良」のようなメディアによって植え付けられた知識を、自分の知識であるかのように錯覚し、地毛が金髪の可能性もあるのに勝手に信用できなさそうだと思ってしまったということです。
最初からどちらかの意見だけが頭に浮かんでくるとしたら、その思考には、目の前の情報以外のなにかが影響を与えているのではないかと疑ったほうがいいでしょう*2。
考えることとは「知識」を切り離すことにある
自分の頭で考えること、それは「知識と思考をはっきり区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです*3。
考える力、論理的思考力の意味を知るうえで最初のポイントとなるのが、知識と思考をはっきり区別することです。
世の中にはいろいろな知識が出回っていて、わたしたちはそれを知っていくだけで「ああ、自分は考えている」と感じてしまうことがあります。しかし、それではいけません。
なぜこの案は採用されるべきなのか、なぜこの業界はもうダメなのか。
これらの答えは書籍や講義などから知識として得ることができますが、それに引きずられないで、一歩立ち止まって“考える”ことが「自分で考える」ということです。
世の中の一般論に対して論理的に刃向かう人や、どちらがいいか決め手のない選択肢に対して「こちらが正しい」と主張する人というのは、基本的に考える力のある人が多いのではないでしょうか。
論理的思考力とは自分で発明・発見する
考えられると勘違いしているグライダー人間
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している*4。
ぼくは高校時代成績は良かったものですから、自分は考えられる人間だと信じていましたが、その認識は間違っていたようです。
ただ知識を得て、テストで良い点数をとっているだけでは考えているとはいえません。
大学で課されるレポートで「自分の主張」を求められるようになり、ようやく自分で考えられるようになりつつあると感じます。
『思考の整理学』では、多くの学校教育で身につけられるのはグライダー能力であり、“成績のいい学生”であっても自分で考えるのは苦手だと指摘しています。
しかし、知識を得ているだけのグライダー人間が世間では優秀だといわれ、本人も自分で考えられると勘違いしているところに問題があるのでしょう。
現実には、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という“優秀”な人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人も“翔べる”という評価を受けているのである*5。
まとめ:飛行機人間こそが考えられる人である
考える力があるということの意味は、簡単にですが以下のようにまとめられます。
- 知識と思考をはっきり区別することができ、知識に誘導されない
- 自分でものごとを発明、発見することができる
これに加えて、知識を得ているだけのグライダー人間と考える力のある飛行機人間の区別は非常に難しいことを意識するとよいでしょう。
なにより怖いのは「自分は考えているんだ」と思わされているけど、実は知識に誘導されている可能性があるということですね。
また、知識を得て満足しているだけでは不十分なんだと感じることもできます。
大量の情報を得ることができる現代社会では、より一層、自分で考える力や論理的思考力を身につけていく必要があるでしょう。
『思考の整理学』では1986年に書かれた本でありながら、「自分で考えられない人はコンピュータに仕事を奪われるよ」と述べています。
複雑な思考はおそらく人間にしかできないでしょうから、このようなコンピュータにできないことをできるようにしていきたいものです。
『思考の整理学』について詳しく知りたい方は、頭の悪い人は自分が「考えられる」と勘違いしているグライダー人間かもしれないもおすすめしますよ。