横浜市のマンションが傾いているという問題で、旭化成建材や親会社の旭化成、三井不動産などが責任を問われている。
上記サイトの写真でもそうだが、なぜか謝罪会見には髪のない方(ハゲ)が多い。
下記の画像は「謝罪会見」で画像検索したときの結果である。すべてとは言えないものの、偶然とはいえない比率でハゲの方が頭を下げていることがわかるだろうか。
今回は「なぜ企業の謝罪会見にはハゲがいるのか」という疑問について考察したい。
社長業はストレスが溜まる?
一番最初に考えられるのは、代表取締役社長という組織のトップに立っているためにストレスが溜まるということ。
私たちは、小規模チームのリーダーを務めるだけでも多大のストレスを感じることがある。となれば、企業トップのストレスは計り知れないだろう。
ましてや不祥事を起こして、普段以上の負荷がかかっているくらいだから、ハゲてしまっても不思議ではない。
このように「ストレスでハゲる」ために、謝罪会見にはハゲが多いというのがまっさきに思いつく答えだろう。
しかし、ぼくはそれだけではないと考えている。
社長ではなく役員がハゲである場合も多い
引用元:http://oinet80530.exblog.jp/10883975/*1
上記の写真は実際の謝罪会見のものではないが(たぶん)、非常にわかりやすく、ぼくのいいたいことを表している。
ぼくの言いたいことは2つある。
- 社長はハゲていない
- たくさんいる役員のなかから守山役員が選出されている
社長がはげていないにも関わらず、なぜか「ハゲのいない謝罪会見は許されない」かのようにハゲの守山役員がいる。
基本的には、たくさんの役員がいるなかでなぜ守山役員が選ばれたのだろうか。
取締役会設置会社においては、取締役は3名以上でなければならず(331条4項)*2
もちろん、例外はいくつも考えられるが、実際の謝罪会見でも、複数いる役員の中で「なぜこの人が」という人が頭を下げていることはないだろうか?
そうして考えてみると、謝罪会見にハゲがいることはまた別の理由があるのではないかと思える。
謝罪会見のテクニックとしてのハゲ
ハゲをみせることは誠意をみせること
とある経営学の学者はぼくに「ハゲが頭を下げると情けなくみえる」といった。
ハゲは一般的に恥ずかしいものとして認知されている。だからこそカツラがある。
そんなハゲをたくさんの報道陣がいる前で、ハゲをみせるように頭を下げることは屈辱的であるようにも思える。
だからこそ、ハゲの人が頭を下げるということは一種の「誠意」のように受け止められるのではないか。
芸能人のスキャンダルや政治家の失言、企業の不祥事などに食いつく人は、社会的に認められている人に対して優越感を得たいという心理があると言われている。
そうした人たちを満足させる、つまり謝罪を受け入れてもらうために、屈辱的ではあるがハゲの人が頭を下げるのだ。
以下の一文はとある謝罪会見に対して、2chに書き込まれた文章である。
- 異物混入してましたが、なにか問題ある? っていう感じの会見だったなw
陳謝はしてなかったぞ、あのハゲ- 向かって左のハゲも右も結局信頼を回復できるようなことは言えず、上層部は嫌な感じの者がいるという印象しか残らなかった
- とりあえずハゲの頭が一番気になった会見だった。テカりすぎw
- ハゲの人の受け答え酷かったな。降格してもおかしく無い下手くそな言動、対応だったろ
- 会見のハゲが小物感漂いまくりだった。あんなのが取締役?*3
不祥事への怒りだけでなく、優越感も得ていることがわかるだろうか。
役員なら誰もいいからハゲを選ぶ
さて、取締役会には基本的に何人もの役員がいる。
直接的な責任がある役員や地位のある役員は別として、どの役員をどれだけ謝罪会見に参加させるかは自由である。
スポーツのように規定人数があるわけではない。
また、世間は社長が謝罪していることには注目するが、一緒に並んでいる役員に注目するケースはあまりない。
取締役会の構成メンバーの多くは、50代かそれ以上の男性である。
50代の男性がたくさん集まれば、数名はハゲているだろう。その中からハゲている役員選び、謝罪会見に参加させるのではないだろうか。
誠意をみせるために。
まとめ
- 社長がストレスでハゲているだけではない。社長がハゲていなくても役員がハゲている
- ハゲている人が頭を下げることで、ある意味で謝罪が受け入れられるようになる
- 役員はたくさんいて、誰を謝罪会見に参加させるかは比較的自由
- 企業は誠意をみせるために、謝罪会見にハゲている人を参加させる
決して完全に論証できるわけではないが、1つの可能性としては十分に考えられるのではないか。
いずれにせよ、問題を起こした組織には小手先のテクニックではない誠意のある謝罪が求められるだろう。
Johnson & Johnsonのタイレノール事件での対応のように誠意のある対応をすれば、再び顧客から信頼を得られるどころか、今まで以上に信頼される企業になることもできる。
1982年・1986年の二度にわたるタイレノール事件のときほど、この真価が発揮されたことはありません。この事件対応に関わった経営陣、現場の社員の誰もが、「我が信条」に込められた哲学に従って、数え切れないほどの意思決定を行ないました。のちに、このときのジョンソン・エンド・ジョンソンの対応は企業の危機管理の好事例として色々なところで取り上げられています。
https://jnj.co.jp/group/credo/01/index.html
大きな事件があったにも関わらず、タイレノール®が再び信頼を得ることが出来たのは、「消費者への責任」を第一に考えた体制をとったからでしょう。これはジョンソン・エンド・ジョンソン社の企業理念である「我が信条」の第一の責任に立ち戻った意思決定であったのです。
http://tylenol.jp/story02.html
なお、ぼくが将来ハゲることは父と祖父によって約束されている。
*1:一般ブログからの引用ですので、問題ありましたらご連絡ください
*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%96%E7%B7%A0%E5%BD%B9%E4%BC%9Aより引用
*3:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1420622364/より引用し一部改変している